出遅れてしまった。本当はひろみちゅ砲が唸りをあげる前にBlogにまとめるべきであった。

この間、現代ビジネスというサイトに以下のような記事が掲載された。
『なぜ地方都市に「TSUTAYA図書館」が次々とつくられているのか?』
副題は「人口減少と消費社会化のなかで…」 筆者の方は社会学、消費社会論、歴史社会学が専門であり、今年4月から立教大学の准教授として働いているようだ。

流石に専門が上記の分野なので、正直に申し上げると「図書館界隈のことを相当読み違えている」様に思える。先の小文ではTSUTAYA図書館を滞在型図書館の嚆矢のように扱い、比較対象として貸出注力型の図書館(1970年代あたりからのトレンド)と新旧対比している。

彼はTSUTAYA図書館で知ったのかもしれないが、先の小文の1P目に記載されている
「飲料物の持ち込みを許し、音楽を小さく流す。休館日を極力減らし、開館時間を夜間まで延長する。座り心地の良い椅子を用意し、また直感的に手に取りやすい形で本を並べる」
というTSUTAYA図書館の特徴として挙げられているものは、音楽流したり直感的な並べ方などを除き、滞在型だと割とよくある特徴でもある。
すでに本ブログでは戦後図書館のトレンドの変遷や滞在型図書館の成立過程などについて説明を重ねてきた。本邦では戦前図書館の反省から戦後図書館の構築が始められ、1960年代からの「図書館の利用率をまず高めよう!」という流れから「広域奉仕」や「移動図書館による貸し出し」が重視され、戦略的に児童書の拡充と本の貸し出し数とという数値での図書館評価が進められてきた。その際に「無料貸し本屋と言われようとも、まずは利用率の向上だ!」という覚悟があった点は特筆しておきたい。

その後、2000年前後から予期されていた「無料貸し本屋」議論が再燃し、ここで図書館界は政府主導の「問題解決型図書館」構想を打ち上げ、レファレンスという司書の積極活用を図書館の一つの軸に据えるべく力点を少し移動させるのだ。ここで生まれてきたのが「滞在型図書館」であり、元々はゆっくりのんびり本を読むのではなく、学術研究(というと少し硬いが、要は調べ物)を行いやすくする為に滞在しやすい形を取り始めたのだ。

さらに近年では図書館の複合化が進んでおり、浦和のさいたま中央や桶川駅前のような「デパートの上に図書館」とか、川口中央の様な「スーパーも市役所の出張所も保育園も市民ホールも本屋も喫茶店も無印良品も英会話スクールもまとめて入った図書館(と言うか、図書館もその一部に過ぎない)」、大和市のシリウスなども出来ていて、むしろ図書館に本屋と喫茶店ぐらいしか入ってないの? とさえ言えてしまうのである。先の小文ではまるでTSUTAYA図書館に嫌疑的、或いは積極的な反対を行っている層が滞在型図書館へクレーム入れてるかのごとく論旨を展開しているのだが、別にTSUTAYA図書館反対派も複合化した図書館や滞在型図書館そのものに対して反対はしていない。しばしば好ましい図書館の姿として他の滞在/複合型図書館を例示し、TSUTAYA図書館との対比を行っている。むしろ滞在型図書館の内、TSUTAYA図書館と称される一連の施設に特有な「直感的な本の配置」(てか、あれ本屋の並べ方に過ぎないのでは・・・?)とT-Point連携、せいぜい食い込んでも「併設されているスターバックスの利用者までも図書館利用者としてカウントする浅ましさ」とかアホみたいに使いにくい高層書架辺りにしか言及していないのである。そもそもの対比もおかしいのであるが(TSUTAYA図書館は滞在型に分類される図書館の中で特に特定の形式を取る滞在型図書館の亜種である)、論旨展開を見ていると正しくない対比で望む結論に持ち込む悪意すら感じ取れてしまう。2P目の以下の文章などが特徴的だろう。
「TSUTAYA図書館だけがとくに業界の目の敵にされていることの核心には、「滞在」を特権視したその設計思想があるように思われる。」

更に以下の一文は、特にどこの話と明記されていないが・・・どこの話だそれ?
「学生や暇のある老人など一部の人を優遇できないという理由から、「滞在」は軽視されてきた。むしろ長時間の「滞在」を難しくするように、図書館の設備は(ホームレスを排除する街のベンチのように)貧弱にされているとさえいえる。」(2P目)
第一号のTSUTAYA図書館である武雄市の図書館ですら、TSUTAYA化する前から滞在型なのである。しかもTSUTAYA化で排除された「子供向けのエリア」まで備えていたのだ! ホームレスの排除も「TSUTAYA化後に、推進者である市長が」ジャージ姿の人がいなくなっただの暢気に放言しているのである(本ブログでお馴染みの「ひわたん」であるよ!)

2P目の最後の方にある以下の文章・・・
「TSUTAYA図書館は、こうした図書館の「伝統」に反旗を翻した。
たんに貸出を目的とする人にとって、それは蔵書も貧弱で、本も探しにくい図書館でしかない。」
2000年ぐらいから始まった滞在型図書館への順次移行は別にTSUTAYAが主導して行ったものではないし、貸し出し特化と言う50年来の指標からレファレンスへの力点移動に対して「反旗を翻した」のがTSUTAYA図書館である。問題解決型図書館という目標に対して「本読んでコーヒーでも飲めばいいじゃない」のお気楽施設がTSUTAYA図書館であり、そんなもん本借りて喫茶店に行けって話ではある。貸し出しは兎も角「調べ物に対して使えないことこの上ない」のが問題だと何故気が付かないのか。

3P目からはTSUTAYA図書館が実のところトレンドに乗ってるとか言い出すし、なんかもう論旨が一貫しなくて大変に知性を疑ってしまうのだが・・・・専門が図書館関係ではないから事実関係に誤認があるのはある意味ではやむをえないと言えるだろう。そこは情状酌量の余地がある(でもさ、学者なら正確を期す為に文献調査しようよ・・・・TSUTAYA図書館では調べられなかったのか?)
しかし論旨展開がアヤシイのはどーにも「学者としての適正」部分に疑問符が付く。時系列も無茶苦茶だし。

貸し出し偏重 → 無料貸し本屋議論 → 滞在型への移行と指定管理制度 → TSUTAYA図書館化問題

この流れのはずである。指定管理者制度はもう10年以上前から導入されており、今は既に「安易な指定管理者制度は公共施設にそぐわない」と言われている段階である。消費財云々の部分は筆者の専門と関わっているのである程度は理解できる部分はあるが、専門外になるといきなりコントロール不能になるのは何とかならなかったのだろうか?

4P目ケツのほう(お察しの通り、私もいちいち指摘するのがめんどくさくなってきた)
「たしかに分類や蓄積を軽視することで、それらの図書館は叩かれることもある。」
これらの図書館ではなく、TSUTAYA図書館であろう。わざわざ別分類こさえて苦労を増やす公共図書館は少ない。あえて言えば国立国会図書館ぐらいである(あそこはNDC使ってない)

個人的にこの文章、誰とは言わないC^3(仮名)がまたぞろ良く分かんない新鋭の大学研究者に記事発注したんではないか的な疑念を抱いているのだが、文体とか言葉尻でチテキを感じ取って内容精査せずにGoサイン出してないか。確かに私なんかは「提灯記事書かせるならもっとマシなの選べ」と文句垂れたりしたけれど、マシってのは肩書きのことではなく論旨展開とかその辺の話だぞ?

なんでまたこんなのを・・・・選書も出来なければ提灯記事の良し悪しも分からんのか。もう少し本気出してくださいよ・・・・これが限界ですかぁ?