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世間ではツタヤ図書館絶対反対派と思われていそうな当ブログ管理人だが、正直なところこのブログ開設時から申し上げている通り、実際には図書館の運営をCCCが行おうがTRCが行おうが直営であろうが「それが結果として良い図書館運営に繋がるなら」どーでもいいと考えている。

現在CCC運営図書館において困るなぁと思っている部分に関してはこちらに列記した。逆に言えば(これは推奨項目ではなく最低限の「やって欲しくないところ」ではあるが)条件が満たされればCCCが図書館運営を行っても良い。少なくとも私はそれに対して理解を示すし、運営次第では許容する。最低限の要求以上の部分に関しては各エントリーで色々と駄文を綴っているのでそちらを参照して欲しい。無論それらの「こうあって欲しいなぁ」はツタヤ図書館にだけ求めるものではなく、およそ全ての図書館に求めて行きたい部分でもある。

と前置きをして筆をすすめよう。
これまではCCC運営図書館の下駄履かせ記事というか、「これ、どー考えてもCCC側が委託してブロガーに好意的紹介記事書かせてんじゃねーの?」と疑念を抱いてしまう「どっかの人々のBlogの中でもツタヤ図書館に肯定的視点で書かれたもの」は、論旨が頓珍漢だったり(図書館に対して図書館として当たり前のことが称賛ポイントになってるだの、図書館評価において図書の事が全く触れられていないだの)、そもそも文章が下手糞だったりして「諸君は何をしたいのか?」と問い詰めたくなってしまうものが多かった。実際Twitterでもその辺指摘していたりするが、正直な話「お話になりませんな」としか表現しようがない。*1

ところが、高梁市においては若干風合いが変わってきた。*2
これまでは「俺図書館好きだしぃ~」とか書いたり言ったり言外に匂わせたりしてる割には文章が下手糞だったり論旨構成がおかしかったり、そもそもの評価軸が異次元だったりした(この異次元さがステマに見える所以である。へんてこな評価軸を持ち出さざるを得ないのがお仕事として良い評価記事を書かされているからのように見えるのである!)

しかし、こちらを読んで見て欲しい。なんとものらりくらりとした文章ではあるが、この人物は今までの様な「ツタヤ図書館を無理矢理良い評価しようとしていた有象無象」とは異なり、少なくとも読ませる文章を書いてる。恐らくはそれなりに本を読みこんでいることであろう。本好きではないかとも推測している。色々な本を読み読者にサービスする精神を持ち合わせていると思う。*3

これまでのツタヤ図書館関係記事とは、風合いが違うのだ。

また、視点が今までのところそんなに悪くない。所々気になる部分というか「ツタヤ図書館を見続けていた私としては気になってしまう」部分が散見されはするが、これまでのメディア、ツタヤ図書館好意的言及記事の中では短い文章の中にTwitterで数回の投稿に分けて延々と突っ込み入れる必要性を感じたものだ。しかしこれらはそこまでは酷くない。
以前私も「物を書き綴るのが趣味の一つである趣味人の一人」としてツタヤ図書館をなんとか好意的に紹介できないものかと四苦八苦してみた事がある。無論それはCCCがステマ依頼してんじゃないかと感じられた有象無象に対して「下駄とはこの様にして履かせるのだよ!」的な嫌味を言うつもりで試みたのであるが、正直その試みは頓挫している。その様な意味でこのBlog書いている方には称賛の気持ちすら持っている。直援的な物ではないがツタヤ図書館を好意的に捉えるにはこんな視点があったのかと驚かされている次第である。(はっきり書くと、己の無能さを痛感したという所だ!)

その時点では「むむ、やりおるな…」と脂汗を滲ませる程度ではあったのだが、その後高梁市の図書館の様子が明らかにされて来ると更なる風合いの違いを感じざるを得なかった。

既にウォッチャー諸氏はご存知の通り、これまでのツタヤ図書館は中央館単館での業務委託を受けることが多く、広域奉仕等には関与しないか無視する事が多かった。要するに俺様のカッケー図書館を堪能しなさーい!といった「お前頭沸いてるのか?」というある種の狂気を感じさせるのであるが、今回は移動図書館も運営し、広域奉仕にも参入するらしい。立ち寄り個所も増やすという。
他のエントリーでも触れたが特に子供は交通弱者であり地域の分館や移動図書館でのサーブが無いと図書館を利用しにくい部分がある。都会であれば図書館の存在が密であるので利用促進はさほど大きな問題ではないが、あえて言えば「田舎」であればあるほど移動図書館や分館等の子供にとっての意味は大きくなる。*4

つい先ごろ完成した図書館内部の写真も各種メディアに掲載されたが、どっかの間抜けがくっそ高い所にまで本を排架しそれを取るために脚立みたいのまで用意していたのに対し、書架自体は天井までの背の高いものではあるが、書架上層部は風景と割り切ってダミー本のみ配置している可能性を匂わせている。

まだ確証はない。

確証は無いが、散々私を含むウォッチャー諸氏に馬鹿にされ(仕方がない、実際バカなんだもん)、批判されてきたところがようやく改善の兆しを見せ始めたと見るのは早計だろうか?

メディアに掲載された写真から各部寸法を類推していたりもするのだけど、正直まだ「低めの書架」でも天板までの高さが高い気はするし(150~160ぐらいかなと。ほんとは120ぐらいまでがえーんちゃうかなと)、最上部に面陳は背の低い人にとって見にくいんでねーか的な部分はある。通路の間隔に関しては割と良いのではあるまいか。しかし大テーブル閲覧席の上からぶら下がってる照明はイマイチだな、地震とかあればあれ接触して破損する可能性が出るぞ。つりさげ長の短いライトかシーリングライトの方が良かったね…
と、まだまだ改善点は挙げられるし、改善されたと言っても一新されたとは言えない状況でもある。改善されたレベルがまだまだ普通に良く考えられた図書館に至らないとしても、これまでのどーしょーもないツタバ図書館そのままやられるよりは「まだマシ」である。地獄の最下層から煉獄に評価が向上した程度ではあるかもしれないが、実際使う人から見たら地獄の最下層より煉獄の方が遥かにマシであろう。
利便性の向上は何時いかなる時でも喜ばしいものであるし、ツタバ図書館よりマシだから改善が不要というわけでもない。どこの図書館でも更なる高みを目指して利便性向上を図るべきではある。私は良い図書館が増えることを望むが、それは水準満たした図書館が増えることを期待するのではなく、全ての図書館が常に「良さ」を求めて邁進し、相互に支えあって全体で歩き続けることを希求する。

だからこそ、今の段階では期待を込めて高梁市の図書館を眺めている。

んで、先に多賀城市のツタバの下駄上げ記事の一つをけちょんけちょんにせざるを得ないからけちょんけちょんに貶したのであるが、この前新しく出た多賀城のツタバ評価記事は少しだけマトモになってた。まだ「お話にならない所が少ない」とか「見方によってはそうと取れなくもない」ぐらいではあるんだけど、正直それは私のツタヤ図書館監視歴の長さがもたらしたバイアスの可能性もある。

大輪の花が咲いた時だけ喜ぶ必要はない。
種が芽吹いたことを喜び、すくすくと丈を伸ばす姿に目を細め、アブラムシを見つけてムキーっとなったり花芽が付いた事に心踊らされ、花開くその時に涙してもいいのだ。CCCがようやく図書館という植物を育てる気になったのかな? ぐらいのものであるが、少しぐらい期待しても良かろう。ダメだったらまた嘆けばいいだけの話だ。

悲嘆にくれることは何時だってできる。

*1 なんでそーなんの?!的な物多いぞCCC界隈。当人は褒めているつもりなのかもしれないが、よくよく読み込んでいくと「これ、逆にバカにしてんじゃない?」と当人の正気を疑ってしまう…なんてのは良く見る。
少しで良い、この表現は実際受け手の見方次第では逆の意味にならないかとか、そういう部分を少しだけでもいいから考えて欲しい。Facebookとか好意的な繋がりに担保された読者しか想定していないところでモノカキしてるとその能力が衰えるのかもしれないが、世間様は常に己に対して好意を向けてくれるわけではなく、批判的視線はどこにでもある。その中で「意図した通りの物を相手に想起させるように文章を書く」「誤解のないように文章を書く」努力を怠るのであれば、それはやはり批判に晒されてしまうし、特に広告宣伝分野では「批評を回避する」丁寧さというものが要求されるべきだと思うぞ。

*2 まだ確証は無いが、宣伝広告担当部署に変化があったのかなと予想している。高梁市だけの変化であれば高梁市がナイスなだけでCCCは相変わらずという大変残念な予想もあったが、後述した様に多賀城でも少しはまともに読める物が出て来たので、少なくとも原稿依頼をどんな人にしてどのように書いてもらうかぐらいまではコントロールするようになったのであろう。以前のダメダメに関しては大方プレスリリースをぽいーして「それあげるからほめてー」程度の能無し依頼だったのではあるまいか。仕事はしっかり手抜きなく。そんなんで給料取ってたら無能だぞ。ていうか、なんでそんなにプレスリリースで自慢してる所ばかり記載しているのか。

*3 金田一耕助マニアであるとの記載があるが、南伸坊とか上野昴志とか…ちょっと古い時代のエッセイスト系の色とかが見える気がする。現時点で30手前なのになんでそんな文体を?!

*4 と、移動図書館にある程度の理解を示したのかと思えば、武雄では分館政策や地域図書館整備による広域奉仕の観点から「それどーよ?」と疑義が出るであろう形で子ども図書館を運営する…等と言う噂が出ている。当該市の小松市長が意見表明してるから恐らくは内々に話はついているのであろう。高梁市の事例がCCC内部側から出ているのであれば移動図書館などの企画も持ち込まれると思うのだが(そこの部分も受託すればぶっちゃけ売り上げは増すだろうし、批判も幾分かはかわせる可能性がある)、現時点では武雄の子ども図書館がコマツの暴走によるCCC的には厄介なお話であるのか、武雄とCCCの上層部がキャッキャウフフしてまたも現場の人間が苦慮するという構図なのか、そもそも高梁市の移動図書館は高梁市からの依頼で割と高梁市が今回の事例ではCCCの手綱をきっちり締め上げてるのかは分からない。
しかし…CCCと武雄の関係を考えれば「CCCに任せたい」とコマツが発言する辺りに違和感を感じる。任せたいではなく「任せます」ではないのは何故か? 高梁市で行っているCCC的にも「不味くは無い」部分が武雄で実装されないのは何故なのか。
あくまでも予想であるが、同時進行的に武雄の子ども図書館と高梁市の案件が進行してしまったために、CCC的に重要な武雄側に「いつもの連中」が参画し、そっちに人員(ダメな方の)を割いたために高梁市ではダメではない方の人員が活躍する羽目になったなんて事情もあるかもしれない。もしそうであるなら高梁市にとっては僥倖であろう。
その想定が正しいのであれば、正確かつ説得力のある批評が高梁市側チームをメインストリームに押し上げる可能性も否定はできないと思うのだが、どうだろうか?
いずれにせよ論旨の通った公正な批評が健全な図書館を育むだろうから公正かつロジカルであるに越したことはない。ある特定の目標の為に公正さが失われることは良くないことである。

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