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ふむ<Tカードのご利用は計画的にさんが安城市中央図書館で行われた猪谷千香さん講演会「つながる図書館・最前線!」のレポートをTwitterで行い、それをTogetterでまとめてくれたよ!

上記Link先は読んどいて欲しいのだが、このまとめの中で私が妙に感動した部分がある。
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1970年代から割と変わらず指摘されてる「図書館振興の方法論」として、若年時より図書館に馴染ませるなんてのがある。2002年ぐらいまでは図書館統計の中に「内、児童書」等の項目があり、若年層から図書館での読書習慣を付けさせるとか、幼児期から図書館に…という、それはもう洗脳ではないのか(苦笑) という施策はあった。(ちょっと上手く行ってるとは思えないけどもなぁ)
幼少時から図鑑を見せてればだまーって図鑑見てた私としては、ちょっと違うのかなと思わないでもない。お子さんだと本当に「読書」しかせんのではないかと。異論はあると思うが、読書自体は図書館でなくとも本屋さんでヤダヤダぐすぐすしてても手に入るかもしれんし、幼児期には繰り返し読書(同じ本を何度も読む)が良いなんて話も無くはない。
他の方法ではなく、図書館での読書が良い点って、何だろう?
近年はなんでもかんでも幼少期からやらせるみたいな風潮が強くて少し閉口しているのだが、個人的な感覚としては「中高生ぐらいから、図書館の使い方を本格的に学べるのではないか」みたいな手ごたえはある。

私が図書館での書籍の有用性に目覚めたのは、高校時代に生物で昆虫の標本作った時である。昆虫採集というのは生物部において標本作ったりする為の前段階であり、それにかこつけて山登りを楽しんだり、温泉に浸かる小旅行のお題目ではないのだ!(温泉には入ったけど!)
で、温泉後に蒸し暑い生物室で虫の死骸をカッコイイポーズで固定し、同定という作業してネームラベルを書くのである。テケトーにやるとOBに「これはxxxではないねぇ」と言われてしまうので真面目に調べるのだ。
その際に活用したのが「原色図鑑」系統の書籍で、数多あるゾウムシの同定で散々使い倒したものだ。
またある時は(トリカブトでの殺人があった後に)、山でトリカブト見つけて持ってきて、それをしっかりトリカブトであるかどうか確認したりもした。(うちは伝統的に植物標本あまりやらんけどなー)
そいつがナニモノであるかを調べる本があり、節の形やクシ型触覚、模様や体長、或いは葉の付き方や葉脈のパターン、生息地、葉の裏の色…そういった部分を事細かに説明してくれる図鑑は知識の宝庫に見えたもんだ。

その(くっそ高い)図鑑が図書館には山ほどある!
最初見たとき本気でふぉぉぉぉとなった。それどころか図書館には外国語の辞典や他国の風俗、宗教、服飾(覚えているだろうか、私はミニチュアフィギュア作成を趣味としており、その関係で服や鎧の資料を参照する必要があったりしたりしなかったりするのだ!)
知識の泉ですわ。すばらC!

専門的な知識に触れていく段階において、その世界の広さを垣間見せる事が出来るのは図書館ならではだと思う。ちょっと大きな本屋でも原色図鑑は揃えてないところ多いだろうし(取り寄せだろうな、あれ)、アホ程高額な外国語辞書もそう簡単には本屋ではお目にかかれない。つーか買えないし重いし場所取るし、店頭で必要な部分だけ立ち読みしてメモ取ることだってできない。ていうかそんな事しちゃダメ!

そういう真のプロというか、手加減無しの学者の本気をタダで活用できる図書館の凄さは、やはり幼少期には感じ取れないだろうし、少年期も終わりの方になり、大人の世界を垣間見る時分になって初めて心の底から「すごい」と感動できるのではなかろうか。

が、中々図書館をその様に見てその様に使う人は多くない。全国でツタバ図書館イイネ!とか言ってる人は、コーヒーでも啜りながら雑誌や新聞パラパラするのが図書館だと思っているのかもしれない。いや、それって昭和時代の個人経営喫茶店でないかい? 

それは決して学問する学生だけの特権ではないが(生涯学習というものがあってな・・・・)、やはり学問している時分にこそ、(良い)図書館が与えてくれる知識の広さや深さ、洋々と目の前に広がる大海を感じて欲しくはある。この時分に図書館を「本のある場所」としてだけではなく、学問の大海に突き出た学究の港であるという事を感じ取って欲しいと切に願う。
どーも学生諸君は自習する机を借りに図書館に来る事が多いようではあるが、ついうっかり課題の事をより良く調べるために図書館の書架に手を伸ばし、そのまま船に乗って沖合まで漕ぎ出したりしないかなーとか、私は結構邪悪なことを考えていたりもする。

実際に漕ぎ出さなくても、そこが港であり、そこから船でどこへでも行けるという事だけでも知っていてくれれば、いざ漕ぎ出さねばならないとなった時に迷うことも少なかろう。

そういう意味において、私は先の市長の言葉に痛く感動を覚えるのである。
それは私の勝手な妄想かもしれないし、市長は違った面から学生に利用して欲しいのかもしれない。

港町の潮風に吹かれるだけでもいい。
なんなら船乗りの遊ぶネオンのお店に見とれても、オサレ感覚を楽しむだけでも「最初はいい」
その後、その後に「ここから旅立つことができる」ということだけでも覚えていてくれたら、本当にそれだけでいい。いつかその学生たちが荷物を背負って7つの大海に漕ぎ出してくれる日を、私は待つ。

まぁ、こんなこと考えてると、CCC管理の図書館は「若者を学問の海に送り出す」つもりはあるのかなと、少々不安になる訳で…

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