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このブログを書き始める前後の話。
当時は西洋の古代図書館とか書写とか「羊皮紙」の事はある程度調べて知っていたが、正直日本の近代図書館の成立とか発展の段階、そういうものに対して無知だった。余りに無知でしゃーなかったので、知識を身に着けるべく川口市中央図書館の図書館関係本をバッカバカ読んだ。20冊近く読んだような記憶がある。
そこで身に着けた知識を独自に再構築し、どの辺がコアでどの辺に向かって進んでいるかをまとめ始めたのがこのブログの最初の頃の話だ。また、それは色々と「予防線」として機能すべきものでもあったのだが・・・・

・・・・乱読してた本の内容をどっかにメモっとくんだったorz

てけとーに流し読んでアウトライン掴んだ中に、確か「戦前の図書館」特に私設図書館に関する言及があったはずなんだ。記憶が定かであれば、当時乱造された私設図書館の蔵書が酷いとか、図書館作れば助成金貰えたんで、その助成金を目当てに図書館開いて公金ガメる悪いやつがいたとか。

わぁ、とんでもないやつがいたもんですね!(棒)

あくまで明治とか大正時代の話です。決して21世紀の現代の話じゃありません。少なくとも上記の話は。

んでだ。どこに書いてあったか分からんかったんで、今日は一発「江戸期から明治、大正の頃までの図書館史」を調べてみたんだ。それはどんな風に発達して、どのように進化してきたのか・・・・それが分かればどっかの図書館のチャレンジが「新しい」んだかどーだか分かるしね。

文庫/貸本屋から書籍館、そして図書館へ
すでに皆様ご存じの通り、大昔の「印刷技術が存在しなかった頃の日本」では、本が欲しければ「自分で書写して複製を作る必要があった」。その為多くの書籍は「個人が別の個人が収蔵しているコレクションを書写してコピった」ものである。そもそも本が流通に乗るのはかなり近代の話なのだ。
この個人収蔵図書が「文庫」である。
次いで江戸時代。オモシロ本やエロ本(一般的には春画とか呼ばれてるアレ)、色々な書籍が版画により量産されたりする時代を迎えると、ようやく「書籍の販売」が行われるようになる。この本を巡る営業形態の一つとして「貸本屋」があるのだが・・・・・
今回紐解いた日外アソシエーツ社の二冊の本の内一冊、「日本図書館史概説」にはこの様な記載があった。

『元々貸本屋は得意先を巡回して営業していた(江戸期~明治初期まで)。ここに「娯楽読みもの」としての役割が「小新聞」にとって代わられ、洋紙を用いた洋装本が普及し始めると従来の和紙を用いた和装本に比してはるかに重くなり、これまでの様に背負って得意先を回ることは困難になった。この様な顧客層の変化や書物の変化が「居付きの貸本屋」に営業形態を変更する遠因となった』

今の我々は店舗型の貸本屋(レンタル屋ともいう)を思い浮かべることが多いかと思うが、もともと貸本屋は無店舗経営で富山の薬売りみたいな訪問販売形式だったらしい。んで、居付き貸本屋であるが・・・・

『1885年に東京神田に開業した貸本屋のいろは屋の蔵書は、その9割が学術書であり、顧客の大半は学生で、1か月の貸し出し冊数は8千冊から9千冊に及んだという。また、貸本屋の中には、閲覧室まで備えていたものもあった。
居付きの貸本屋がこの様に繁盛したのは、公共の図書館がまだほとんど無かったからである。』

そう、まだこの頃は公共図書館というものが存在していなかったらしいのだ。図書館という言葉をLibraryの訳語として初めて使用したのは東京大学らしい(東京大学法理文学部一覧(明治12、13年)の英文版によれば、図書館はTosho-kuan (Library) of the Universityとなっており、1880年に東京府から文部省に復帰した東京図書館の場合、1886年(明治18年)に刊行された『東京図書館洋書目録』ではTokyo Dzushokwanと館名が示されている。明治初期にはトショカンとヅショカンの2通りの読みがあった)

公立図書館の最初期のものは、文部省内の博物局が設置された際に「それまで物産局が集積していた文物の公開の場として」開始されたものであり、最初湯島聖堂(アキバから御茶ノ水に向かう途中にあるアレ)に置かれていて、湯島聖堂を別の目的で使うから浅草に集積物移した後に「やっぱ湯島聖堂使わない」とかすったもんだあったらしい。わぁ、いつもぎょうせいはこのへんてきとうだ!

この「東京書籍所」はエゲレスの大英図書館とかを範に取ったとのことで、規則関係もほぼエゲレス式を踏襲している。料金の徴収はあるものの、貴賤の別なく、広く公開したと記録があるそうな。但しドレスコードが存在したらしく
「見苦敷風躰之者ハ不許入館候事(借覧規則)」
という一文が添えられていたとか。まぁ、今時こんな事を真顔で言う首長なんて居ない訳ですが。
より正確に言うと「言ってた愉快な市長が居るには居たが、自分で勝手に市長辞めて県知事選出て勝手に落選して今はただのおじさんになった」のであり、やはり「今はそんな首長はいない」で良いのである。

興味深いですね。図書館よりも古い形態として「閲覧室付き貸本屋」があり、それが繁盛してたって話。
今、一部の人は「レンタル屋と本屋と喫茶店付いた図書館が新しい」とか言ってたりする訳ですが、むしろ公共図書館以前の貸本屋として似た営業形態が存在したと。先祖返りじゃん?

明治初期の京都府において、官営書籍所の開店前まで暫定的に営業を許可された「民間企業(貸本屋組合みたいなの)」がその後官営書籍所の運営を任され、最終的に(運営担ってた人の内一人が死亡してしまって)ギブしてしまい、結果的に京都府の官営書籍所は10年程度で終わってしまったなんて案件も見た。
うーん、この道はいつか来た道・・・・

今日の本

日外アソシエーツ社
『日本図書館史概説』
岩猿敏生 著

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