さて、一つ前の投稿で今更次郎の「古い投稿」を転載したのは訳がある。

「古い投稿」の冒頭に記載したように、良き物語はいくつもの視点を与えてくれる。水妖記も同じだ。
先の文章で数年前の私は以下のような言葉を紡いだ。

「我々は魂を己の肉が如く背負っている為にその重みに気が付かないのだが、持たざる存在であったウンディーネは新たに背負った「魂」をその様に重いものであると感じ取ってしまうのだ!」

後から後天的に得たが為に、得たものの価値を自覚すると、そういうこと。
私は1973年の生まれで、気が付いた時には身の回りに図書館が必ずある環境で育っている。先天的に図書館は「あるもの」と認識しており、だから故に水妖記の中のベルタルダの様に「図書館の使い方」を本質的に理解していなかったかもしれない。そこは静かでいろいろな図鑑や物語にあふれ、夏場などは(青木公園の中にある児童図書館は閑古鳥が鳴いているので)クーラーがめちゃくちゃ良く効き、私は避暑地としてよく活用したもんだった。

転機が訪れたのは、Ultima Onlineというゲーム内で文芸クラスタと接触を持った時だった。
MMORPGの魁とも言えるこのゲームでは、余りに先を行き過ぎて後継MMOなどには余り見られない独自の文化があった。それが「本」の存在である。
ゲーム内にはゲーム内のNPCが書いたとされる書籍が実際に図書館内に収められており、それを読むことができた(ただし全て英文である)。あるとき私がふと手にした本の中には、英文だから読めねーなんて愚痴が記載されていたのだが・・・・ここで私の変な癖が爆発する。
ゲーム内の本の訳文は偉大なる先人(孔雀氏とJill氏)が翻訳してたので、許可もらってその文章を片っ端からゲーム内の書架に叩き込んで行った。実際アホな事に、私の居たサーバー内では行けるとこ全て足運んで片っ端から叩き込んだ。また、自作の物語や他人の書いた物語も「そうすべきだ」と感じたら片っ端から書き込んだ。今では仕様改変でそれ全部消えてしもたが、(今思えば)グーテンベルグ&ルターコンビの真似したとも言える。この過程で中世ヨーロッパやその源流であるギリシャ/ローマの図書館事情を「好き好んで」調べまくり、海外での図書館の発展の具合を知ったのである。また、オタとしては当然であるが「いわゆるファンタジー世界に合致した物語を構築するために」、ケルトやガリアの風習や伝承を調べたりもした。

このような事をしていく過程で、図書館をリファレンス的に使うことや、(ゲームという趣味性の高いものであるが)図書館の機能でこの様に「すばらしい事ができる」のを再発見したのだ。

ここ数年、図書館の無い所に図書館を作り出していった人々の話を読んだりしているが、私とは違い彼らは「図書館を持たざる人々」だった。結婚前のウンディーネのような人々であった。そして、だから故に後天的に獲得した「図書館」の重みを知り、維持する苦悩や活用されたときの喜びを・・・・「図書館の使い方」を知る事ができたのではないだろうか?

翻って我々「先天的に図書館がある生活を知っている人々」は、図書館の使い方を知っているだろうか?ベルタルダの様にこの世の権勢やら豪奢な何かに眼が眩んで図書館を使うことを事を忘れてはいないだろうか?

我々はどうだろう?
我々は「図書館」を持ち、正しくその効能を使い切っているだろうか?

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