近年の図書館トレンドの根底にあるのは、帝国図書館の「閉架」学術探求偏重主義に対する欧米圏の図書館に対する憧れなのであるが、今まで色々本を読んでてイマイチ腑に落ちなかった部分が腑に落ちたので、ここに示さんとするなり。

日本の第二次世界大戦敗戦後、日本は占領統治されGHQなるマッカーサー組に乗っ取られてしまったのであった。この際にGHQは各種の占領政策を行い、日本にアメリカ様に対する敬意を植え付けようと画策した(かなりバイアス掛かった表現w)

でだ。

図書館行政においてもアメリカは最新アメリカ式図書館を日本国内に持ち込み、教化の手段として利用していた。当時アメリカの「最新式」では、雑誌などの「やわらかい読み物」を多数置き、空調の利いた快適な読書室でそれらを眺め、時にはダンスパーティーなんかも行われることのある多目的施設だったらしい。また、レファレンスと呼ばれる業務に多大な労力を裂いており、調べ物の役に立つ図書館を目指していたそーな。

こいつを見て日本国内図書館業界の人々はビックらこいたのだという。

その後、日本は独自の図書館政策を実施する事になるのだが、何故か「アメリカ式図書館を増やそう!」にはならなかった。根本彰氏の指摘によると、アメリカ式ではなく「イギリス式」を目指し、その為に貸し出しカウンターとレファレンスカウンターが分離する事態に陥ったのだと言う。

何度も挙げた市民の図書館や中小レポの中心人物が、イギリスの図書館を見てきたと言うのもあるのだろうが、図書館協会と言うか図書館「業界」では、アメリカ式が流行ると司書資格が重要視され、それらの資格を持たない人々は仕事を奪われるんじゃないかなんて思い込みもあったらしい。鬼畜米英なのに何故かアメリカ敵視。少し解せぬが戦後間もなければこんな事もあるのかも知らん。

で、図書館業界では盛んに「日本の図書館は遅れている!」と言うのであるが、その比較対照として選ばれるのは北欧諸国などである。ヨーロッパでも特に図書館普及率、利用率が高く、世界トップクラスと比べて遅れていると言うのは背景にある文化などのことを考慮した場合、少しトバし過ぎではないかななどと思ってたんだが・・・・・

既に日本の図書館は、現時点でドイツやイギリスと同じ程度の規模には育ってるらしい。

貸出数などだけで単純に比較するのは危ないのだが、それらの統計上では既にそこらの先進国と肩を並べるようになってしまっているのだ。ところが中小レポートや市民の図書館を基底とする議論の方式は「日本は劣っている、だから高めなければならない」という方式なので、目標物に到達したらそこから停滞の道を歩まざるを得ないと言う状況がある。そこで世界トップクラスを引き合いに出していると。

図書館の自由に関する宣言と言うものがある。

色々な見方の出来る文章であるが、過去の歴史を紐解くとき、私はそこに「マッカーサー組の風下には立てねぇんで」と言う仁義なき戦い図書館編の片鱗を見出してしまうのである。彼らは独立独歩の気風を重んじ、誰よりも自由に、自分たちの道を歩みたかったのではないか。その意識があるからこそ、マッカーサー組のインフォメーションセンターを良しとせず、自分たちで自分たちの図書館を作る事に情熱を燃やし、その情熱の結晶が後世にも光り輝いていけるように予算獲得や「敵対勢力を想定した」各種の方策を編み出してきたのではあるまいか?(だから故に武雄市の様な施策を打ち出した場合、50年近く昔の超古代の魔法兵器が唸り声を上げてしまうのだ!)

ファンタジーの世界やラノベの世界ではなく、1950年代の図書館界隈のおっさんらは色々な・・・・或いはまだ見ぬ敵と「戦っていた」のだと思う。

広告