たまたま手に取った本の中で、総理府の図書館利用者人口に関する言及を見つけた。
1979年当時で、年に1度以上図書館利用している人の比率は14.2%
1989年で16.9%だそうだ。

すると我が愛する川口市の図書館利用率は、まぁまぁ全国平均並み、3割しか利用していないとDisられた武雄市図書館は相当な利用率を誇っていた事が判る。全国トップクラスである浦安市は1995年調べで市民の34.6%が活用だそうな。武雄市図書館(ただし、改装前)、すげー頑張ってたんだな。

それはそれとして、図書館利用率などを調べてると北欧諸国の図書館利用率が凄いなんて話はよく目にする事ではある。それについて先の統計情報掲載していた本に面白い考察が載っていた。
(読んだ本は以下の通り
新集
図書館情報大学公園録 知の銀河系1
図書館の現在 (日本図書館協会))

でね。
北欧の図書館利用率に関する推論で、こんな風に書いてあったのよ。

「該当区域にルター派新教徒が多い。ルター派は聖書を読めない人間とは結婚させないなどの聖書普及策をとっていたが、これが結果として布教による識字率の向上と、教会が本を貸し出すなどの図書館機能を持つところから公共施設で本を借りて読むなどの習慣が形成されていった」

少しキリスト教のお勉強ね。
「キリスト教と呼ばれる新興宗教」は、教祖様が復活したのに昇天されて、行方不明になった後に各地に伝播、何故かギリシャでは新興宗教ということで規制対象になったりしている。まぁ、もともと多神教の国で一神教売り出して「ウチの神様が唯一無二の神!」ってやってるんだから、そら確かに疎まれる。
その後いろいろあって、色々ありすぎてアレなので興味ある人はローマ帝国辺りのキリスト教布教史とか調べて貰うとして・・・・ローマではキリスト教が認められるわけですわ。
この後、カノッサの屈辱などでも知られるように、キリスト教の権威化が進む。
その際に、市民(一般大衆とイコールではない事もある)が「私的に聖書を読む」事は禁じられてた時代もあるんですわ。

これはキリスト教の布教過程である意味必然的に発生した問題なんだけども、聖書の意味付けや読み方を規定しまくって「正しい聖書の読み方」を突き詰めた結果、聖書の読み方論というものが出来てしまったわけですよ。普通に聖書を読んで、自由にその感想を述べる事は聖書の読み方としては間違っている・・・・というのがカトリック的な考え方なんですな。ある意味ではそれも正しく、2000年以上の昔、イスラエル近辺の風俗の考証も無しにそのまま聖書読んだら、そしてその当時の世情を反映せずに現代日本の価値判断基準でそれを解釈したら、確かに誤読の可能性はある。旧約では実の子を神の供物にしようとするとーちゃんとかも出てくるわけだけども、現代世界の基準で考えると尊属殺人未遂ですわ。
その様な誤読を防ぐ意味でも、解説者たる司祭の手は必要だったろうなと思うわけで。

ところが。
教会は最終的には手にした権威を利用して免罪符だなんだと経済活動をしたりして、当時カトリックの人だったルターは悩んだ。悩んだ結果「これどーよ?」と質問状を出し、その後裁判に出されたりして最終的にはカトリック教会から破門される。その頃ルターは聖書に記載されてる事を重視し、その筋から当時はラテン語だかギリシャ語で記載されてる事が多い聖書をパンピーでも判りやすいドイツ語に翻訳したわけですな。
聖書に立ち返れ、大事な事は聖書の中に書いてあるって主張をする以上、大事な事を伝えるためには聖書そのものを皆によく読んでもらった方が良い。そこにグーテンベルグの活版印刷技術がコンバインして印刷によりバッコバコ聖書の「誰でも読める版」がドイツに溢れるわけですわ。

という訳で、ルター派は「本」を読ませる事に熱心な学派なのである。
なるほど。
宗教的な意味合いから本に対する姿勢が生まれているのかと。ならばルター派が少ない日本で図書館普及がイマイチなのも納得ダネ!

確かに日本でも宗教絡みで本を大切にする風習自体はある。具体的に言うと三蔵法師はお経の経典取りに天竺まで行ってる訳だし、持ち帰った仏典は超複写(書写した)して、更に翻訳して、超大事に保管された。
が!
伝播過程でどこをどう間違ったんだか、仏教の本はマジックアイテムとしての本みたいなもんで、そらーもー盛大な功徳がある。チベットのマニ車なんてのはお経書いた車を回すとお経を一回読んだのと同じ功徳があるし、日本の仏教でも「転読」という恐るべき読み方が存在する。いずれも経文に含まれるパゥワーで幸せになる形式のお話であり、読んで身に付けてそのノウハウで幸せになる方法論では「ない」
現代日本の我々も、コーエーの三国志で各種の書物を武将に与えて「与えた瞬間から」知力や政治力がアップするなんて設定をなんとはなしに受け入れている。戦えラーメンマンでも伝書が何故か防御の役に立ったりしていたし、忍者は巻物加えてデカイかえるにまたがっているのである。

なるほど。日本は基本的に「本を読んで実際に役立てる」系の概念がもともと弱いのかもしれない。
上記の本には貧困者対策で図書館の入り口にカフェとかパン屋が併設されてるなんて話も記載されていたが、ルター派の支配地域で図書館利用の概念が育まれたのであるならば、納得である。最初期の図書館然とした図書館はつまりルター派の教会だ。そらー貧困者に炊き出しとかするし、イメージ的には理に適っている。また、集会所的なファンクションも教会が大元なら理解できなくもない。(実際、デンマークのにぎやかな公共図書館という本の中にも、現代的な図書館成立以前は教会の中の図書館がコミュニティー唯一の図書館であった旨が記載されている)

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