先に挙げた武雄市図書館を検証すると言う文章を読んだ。

この中でいくつかのトピックがあるのだけれども、その中でまず取り上げたいのは武雄市図書館が実は図書館ではないと言う部分に関係する話。これは少々穿った見方なのだけども、武雄市図書館は絶対に図書館で無ければいけない理由が一つある。補助金だ。
ぶっちゃけ、図書館であれば国庫支出を依頼しやすいが、これがなんぞ私企業参加型の知の殿堂という半官半民施設ではまず迅速に処理はされないだろう。内容を精査し、事業計画書をよく読みこみ、妥当かどうか判断する必要性がある。この為、武雄市図書館の改装はあくまで図書館として行われなければいけなかった。また、改装に際して図書館長室が広いとかなんだかんだでバックヤードも削減しているのだけれども、そうまでして広げた床面積をツタヤとスターバックスに割り振り、全面開架と言う事でかなり窮屈な配架になった事は否めない事実である。
逆に考えよう。スターバックスやツタヤを入れる為に重要度の低い(と市長が判断した)スペースを削ったとは考えられないだろうか? 先の話の中で床面積1000の内、図書館専用スペース560 スターバックスなど250、残り共用スペースと言う話があったが、共用スペースは簡単にスターバックスやツタヤが使用する事が出来る。実質半分くらいがCCCの裁量で私企業としての使用が可能になると言う事ではないのか。共用スペースを図書館側で利用する計画や使用された実態はあるのだろうか?
正直、おっちゃんには「そういう言葉の使い方で、あくまでも図書館と言う体裁を保って助成金などを申請し、実質的にはCCCに供与する」と言う枠組みにしか見えないのだが。

Twitterでも記載したけど、ある意味で凄い格好良くてエクゼクティブな感じで都会~というイメージを持たれる図書館(?)として六本木ヒルズの会員制図書館がある。これはこれで「図書館としてはどうよ」と思わなくはないのだが、私企業があるアイデアや類推に基づいて私設図書館として整備し、コンセプトを推し進めた結果としては評価したい。図書館ではないが図書館と類似の、それでいて既存の図書館とは異なる方向性を模索した結果だ。

あくまで結果としてだけれども、武雄市図書館は「集客」に成功した。来訪者数が増えた、それだけ今まで図書館を利用しなかった人が訪れるようになった・・・・まぁ、その、ヨカッタネ!
例えば仮に、ここに世にも珍しい「図書館を鬼のように嫌い絶対に足を踏み入れない顧客ばかりがやってくるレストラン」があったとしよう。レストランの再訪率はきわめて高く、遠隔地からやってくる客も多い。ここの年間来場者数をAとする。そしてここに図書館があり、年間来訪者数はBだ。
図書館とこのレストランが同一の敷地内に移動したとしたら、その敷地への来訪者数はA+Bになる事はほぼ確実だろう。このA+Bは果たして移設後の図書館利用者数といえるか?
偽である。何しろ前提条件上レストランの顧客は図書館に足を運ばないのだ。
しかし門が一つなら統計データ上は来訪者数A+Bとカウントされる筈である。
この様な手法が許されるのであれば、図書館にキャバクラを入れるなり、図書館にメイド喫茶/執事喫茶を入れるなり、図書館内でパンダを飼うなりすればいいのだ。そしてその上で「どの施設を入れれば来客者カウント数を稼げるか」を考えればいい。もしかしたらスターバックスよりも単価の安いドトールの方が来客者数を増やせるかもしれない。もしかしたらコジマ電気の方が良いかもしれない。三つ編みメガネの図書委員長カフェの方が受けるかもしれない・・・・これらの考察を抜きにして、結果的にスターバックスとツタヤを入れたから来場者数が増えたと言うのはナンセンスである。もしもあらゆる手段を使って稼働率を上げたいのであれば、もっと真剣に抱合せ販売する業者を厳選するべきである。現状は目標に対して手段が不徹底である。目的設定が妥当かと言う議論は別にして、目的に対して十分議論が尽くされてはいない。

馬鹿な事を言っているとお思いだろうが、2000年前後に起きた「図書館は無料貸し本屋」議論も、実際にはこんなしょーもない話だったりするのだ。この論争の根幹は「いい図書館は貸出冊数が多い」という指標論から始まったもので、貸出冊数を増やすにはどうしたら良いか・・・・貸出要求/予約の多い、人気のある本を蔵書すればいい。人気のある本がいつも貸し出し中だったら貸出数が伸びない・・・・だったら人気書籍を複数在庫すれば良いという風に話が転がってた末のものであり、その「貸出冊数を伸ばす為に図書館機能ではなく貸本屋機能を高めてどーするんだ?」という批判なのだ。
いずれの場合も、「良い図書館/公共施設の指標」に目を奪われ、実際に良い施設とはどんな施設であるかという部分が素晴らしいほど痛快に抜け落ちている。ある意味では成果主義の悪弊である。

普通の一般的なオーソドックス図書館では、図書館の設立趣旨と目的を生涯教育であるとか、調査の役に立つ(リファレンス)とか、或いは資料のアーカイブ部分に求めるのであるが、別に他の部分を目的にして図書館っぽいものを作る事が悪い訳ではない。
六本木ヒルズの図書館に関しては完璧と言って良いほど「公共性」(利用可能なのは基本的に会員のみ)、「資料のアーカイブ機能」(二の次、新しい書籍をバンバン入れて入れ替えていく事を主目的にしている。アーカイブ機能もあるにはあるが二の次である)等を切り捨てている。しかも有償である。
図書館と言う事になっているが、システム的には漫画喫茶に近いかもしれない。高度に洗練されてビジネス書や思想書が多い漫画置いてない漫画喫茶。これはこれでアリだろう。そこに目的があり、目的を達成するための手段があり、それが調和してゴールに向かっている。

おっちゃんが武雄市図書館に感じる「中途半端さ」この辺にある。
稼働率を上げる事が最大の目的であるならば、中途半端な事をせずに徹底的に集客だけ考えればいい。その際に図書館機能が邪魔なら邪魔と言えばいい。そしてその集客と言う目的を達するとどういう変化が起きるのかを説明すればいいのだ。住民も既存の「普通の図書館」と「集客」という2つの利点を天秤にかけて、どっちが良いか語り合えばいい。実際に図書館を利用する人口が2割程度なら、図書館を捨てると言う選択が多数決で勝つ可能性は十分にあっただろう。何故住民に信を問わなかったのか。
はっきり言って、その辺全部有耶無耶にしたせいで、訳の判らん内に図書館とも喫茶店ともつかないナゾな施設が出来てしまったのではあるまいか。

もしもこれが「集客」ではなく、図書館利用者数の増加や率の上昇だったとしたら、どうだろう?
図書館は生涯教育の拠点であり、リファレンスサービスなどの提供元である。これらの高機能サービスを活用する事により地域の生産性の向上や知的な豊かさが膨らみ、将来的にこの地域に豊かな実りが期待される・・・・みたいな絵空事でもいい。その為に図書館利用率を高める事は必須である、その為に改革をするのだ・・・・・

この様な定義をする場合、図書館利用率を高める事は来場者数を増やす事とイコールではない。図書館でパンダ飼ってそれ見に来る人が増えても、図書利用率やレファレンス利用数は伸びない。
が。
仮にその図書館の蔵書をパンダ関係に絞った場合はどうだろうか?
生きてるパンダを見ることができて、かわいくて、パンダの飼育の仕方やパンダの生態、世界各国のパンダ、生物学的な特徴、分類学から見たパンダの位置付け、行動動物学的な部分でのパンダの情報や、パンダの血縁関係や家系図まで参照できる超パンダ図書館だったら?
恐らくは、全国のパンダ研究家やパンダマニア、パンダの飼育を検討している自治体や動物園、ありとあらゆるパンダに関連する人が、この図書館を訪れてパンダを調べ尽くすであろう。パンダに会った後の子供たちがパンダの絵本数十冊の中からお気に入りのパンダ絵本を借り出すかもしれないし、女子高生がみやげ物のパンダ柄ブックカバーを買っていくかもしれない。
図書館付帯施設がメイド喫茶だって執事喫茶だって構わない。もしそこに「それだけではなく」、メイドや執事の生まれた文化背景やそれに至る歴史・発達史に始まり、各国のメイドの実情や日本国内の女中等との相違、そこから生まれたアニメや漫画におけるメイドの紹介や実例を調査可能な本が数万冊のオーダーで蔵書されていたら、どうか。関連書籍だって相当な数に上るだろう。メイドを語るなら一度は訪問すべき聖地であるとか、執事好きなら教養を深めるために訪問すべき場所とまでなった時、初めて(あえて書くが)集客から「知への誘導」が成功するのではあるまいか。コーヒー屋と提携したのにコーヒーに関する見識も深められず、コーヒーの事を調べることも出来ず、コーヒーの飲み比べも出来ないとか馬鹿にしているにも程がある。

図書館とコーヒー屋をシームレスに置いたのならば、私だったらコーヒーの焙煎講座とかコーヒーの飲み比べとか、美味しい淹れ方教室やコーヒーの歴史教室や実際にコーヒーを収穫してみようツアーとか色々企画するね。入り口はどこでも良い。そこからどうやって本に興味を持たせ、本を読ませるか、本を読んで何を学んでもらうかが大切ではないのか。これが成ったときに初めて本屋とコーヒー屋をくっつけた意味が創出されると思う。(それはそれで作っといて、別に普通の図書館欲しくはあるけどな!w)

頑なに蔦屋書店関係の話は避けてきたのだが、ここに至ってはこの話もせざるを得ない。
もしも蔦谷が蔦屋重三郎を敬愛して屋号を付けたのであれば・・・・蔦屋側で蔦屋重三郎の足跡を教える講座があっても良い。ただしきちんと蔦谷の屋号は吉原の茶店の屋号であり、蔦屋は吉原細見の発行をしていたと言う部分を込みでやるべきだ。吉原細見は今の世界で言えばふーなびだのなんだのの風俗ナビ雑誌の先駆けで、ふーどる情報まで完備した夜の情報誌である(マジで。吉原細見をググれ)。
幸い九州にもその手の盛り場はある。地元密着型で武雄から細見出版しても良いのではあるまいか。
ツタヤは蔦屋に憧れて付けた社名なのだから、よもや細見など風俗ガイドから始まった彼らの出版の歴史を黒歴史化することはあるまい。幸いにも風俗情報と言う部分は専門図書館が成立しにくい極めて特殊な分野である。蔦屋を入り口に徹底的に性風俗関係の歴史を真面目に取り扱う図書館があっても、おっちゃんは良いと思う。それらを理解した上でツタヤを引っ張ってきた市長は当然この様な試みに関しても理解を示すであろう。全部開架で貸出にも応じてくれるに違いない。それらのバックナンバーをアーカイブする事で、どの風俗嬢がいつどこに在籍して何時頃店を変えたか、年齢のさば読みはどのように変遷して行ったか、公証スリーサイズの変遷や整形は何時頃試みているのか・・・・などを調査する事が可能になるかもしれない。悪魔の様な施設ですね。

こうしてシナジー効果を生み出していかねば、何で図書館に蔦屋やスターバックスを入れたのか判らなくなってしまう。結果論としてもう既にそれはそこにあり、しばらくは付き合わなければいけないのであれば積極的に彼らを使って図書への、読書への道をつけるべきだと思う。

それが実際に武雄市の生涯教育や総体的な知性の向上に繋がるかは、少々心配ではあるのだが。色々な意味でニュースにはなるだろう。
2016年12月追記

実際私のしょーもない記事が皆様の真摯な問い合わせに応えられてない気がするので、近年発見したBlog記事などを紹介してみたいと思う。

上尾市中央図書館基本構想を読む前に知っておきたいURBとは-7

上尾市図書館要覧と図書館の利用度を示す評価指標 -6

上記は上尾の図書館移転に際して市井の方が記載したと思われる記事なのだが、大変面白いので皆も読むといいよ!