「図書館を作る 市民・企業・行政」 辻桂子 著 郁朋社
福岡県前原市に在住の「10年以上、自分の町に図書館が欲しいよー欲しいよーと言いつづけて請願して署名集めて市議会でも発言してきた」方のこれまでの経緯を記載した小文。
この本の最初の方に「なんで図書館が必要なのか」「どういう図書館が必要なのか」「どうしたら良好な状態の図書館を維持できるか」等の話が随所に出てくる。流石過ぎるので辻さんのBlog URLを張るしかない(苦笑)
http://soslibrary.exblog.jp/
今は余り手入れされていない感じだけど、最初から読めばおっちゃんが図書館で借りた本を借りたり買ったりする手間が省けるのだ。

本書の中ではかなり具体的に「どうやって公営図書館作らせるか」を入念に計画している。その為にコンセプト固めたり、話題性などにも留意して実際に「本の無い図書館」という形式のイベントぶち上げたりし、更に住民や本好き、図書館好きを巻き込んでいる。最終的に「本当に欲しい図書館」を入手できたかどうかは今調査中。(現状を見る限りでは、辻氏の主張通り「普通の図書館に求められる事を十全にやっていく」事を主眼に置いているように見えるが・・・はてさて)

このお方、自分のところの図書館出来る前は伊万里の図書館使ってたらしいのだけど、伊万里って武雄市の隣・・・・意外と武雄の近くにこういう最先端の図書館作ってる当事者いる訳でしょ?
なしてこの人にお話聞くとか、意見を求めることしなかったんだろうね。市長は。

何が良いか悪いかは人の視点によっても変わる。大事なことは「何を目指して」それを実施し「どうなったか」ではないか。ある人がそれを悪いと思っても、そうした趣旨がある人の視点と異なるならばそれはそれでやむない事であるかもしれない(そういうことが出来るだけ無いように、人は討議を繰り返すのだと思うのだが)

例えば武雄市図書館では閉架書庫を原則撤廃し、全て開架にしたらしい。これは別に変わった事ではなく、他の図書館でもその様な方針を採るところもある。目的としては「司書に頼みにくい、声をかけるのを躊躇してしまう」人への配慮だろうか。
で、実際に開架になった際の問題を指摘する人がいた。
http://lomax.cocolog-nifty.com/apprentice/2013/11/1-0055.html
以前千代田区の図書館で問題点を知り、まさかと思って見に行った結果だそうな。書庫に入れてある本は別にもったいぶって書庫に入れてあるだけではない。基本的な需要は無いものの、例えば過去の事例を知るためや、問題の推移の経過を調べるために過去の版をとっておく事もあるのである。
おっちゃんは柄にも無く英詩とか好きなんだけども、例えばPoeの大鴉の改定過程とかその辺を調べる際には最終版だけではなく最初に公表された版とかそういうのを調べる必要もある。
ただ、そういう事を調べるような連中が閉架図書での貸出を躊躇するとは思えないのだが。
昨日地元の図書館(川口市中央図書館)に行ったときも、サラ・パレツキーのサマータイム・ブルースが2冊置いてあって少し驚いた。なんだ重複かよと良く見ると片方が新版だったので納得である。するってーとチャンドラーの長いお別れ(ハヤカワミステリの古い版)も、そろそろ春樹っつあんのロング・グッドバイと並べておいても良いんじゃね? (恐らく今はハードカバーコーナー辺りにあるのではあるまいか)
開架だから良いと言うことは無い。無論悪いと言うことも無い。開架にも閉架にも意味があり、その使い分けや利用目的が重要なのであって、利用目的を定めずにそれを行ったのであれば愚かなことであるし、目的が策定されていてもアクションによってそれが充足できないのであれば無駄なのである。
気軽に手にとって貰えるように・・・・そういう意図で開架にしたのであれば、それは背の低い人でも移動に不自由な人でも同じように手に取りやすくなければならず、その意味で高すぎる書庫は意図が良く理解できない。閉架から本を出してもらうのは抵抗があるが、高いところにある本を出してもらうことには抵抗が無い人ばかりなのだろうか?
目的と実装形態が乖離しているように見えるのだ。それは図書館設置哲学にブレがあるとか、徹底されていないと言う印象を残す。
おっちゃんが見る限り、武雄市図書館の目指した形は「たまーにWebのまとめ系Blogに見られる、本がどじゃーっと置いてあってかっこよさげに見える海外図書館の模倣」なのではないかと思う。
流石に海外の大学図書館が何考えてすげー高い書架に本詰め込んでるのかまでは判りかねるが、集めて集めて集めまくったら置く場所無くて仕方なく上に伸ばしたとか、そういうのじゃないのかね? 金は掛けたくないが蔵書増やす為には仕方なかったんじゃよー的な意味であるなら理解できる。利便性より機能性を重視したのだろう。その代わりこれらの図書館では閉架だろうが開架だろうがよーしゃ無く本の取り出しを頼んで、気持ちよく本を読めるのではあるまいか。

本をたんまり買い込んで置く場所ないなら高架書庫も仕方が無い。でも、余裕あるなら別に高くする事ないし、余裕が無いならまず図書館機能に不要な喫茶店とかツタヤのスペースを削減するべきだろう。
今の状態では何が何でもスタバとツタヤを図書館の中に封じ込め、その分書架のスペースが減ったので高い書架を置かざるを得ず・・・・と言う推論になってしまう。

無論、おっちゃんがツタバのおまけ図書館を嫌っているからそう見える事もあるかもしれない。だから異論として「これはこうせざるを得なかった。この様な目的の下ではこの形態が最上だった」と言う話があるのなら聞いて見たい。
おっちゃんが類推する「その筋」とは、「どうしてもツタバやスターバックスで集客して、盛り上がっているように見せたかった」か、「図書館はどうでも良くて、青山の蔦谷図書館を武雄に誘致したかったが全然乗って貰えなかったので図書館を差し出した」にしか見えないのだ。いずれにせよ、図書館そのものの軽視である。

例えば、日本国内でもっとも図書館の利用に優れているのは滋賀県だという。でも武雄市周りの話で滋賀県の話題を聞いたことが無い。また、近年のスゲェ図書館の筆頭として挙げられることが多いのが浦安市の図書館なのだが、こっちの話も聞こえてこない。聴こうと思っていないだけかも知れないので、もしも反証があるなら教えて欲しい。

なんで識者からの評価も高い施設を手本にせず、蔦谷書店手本にしたんだろう?

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