さて、そこに困った事例があり、それがメディアで祭り上げられていて、更に更にその祭り上げられている物を地元の政治家さんらが賞賛しているとする。幸い私の地元川口ではその様な事例はまだ見受けられないが、市長が現職のままこの前急逝してしもたんで、もしかしたら次回の市長選挙でこの辺の争点が出て来るかも知れない。

ある意味では我々一般人は代議士を議会に送り込んで、間接的に政治参加しなければいけない身。政治家さんらをコントロールして市政に参加するにはどうしたら良いか?

その為にはまず政治家さんと言うモノを良く知るべきである。そして彼らに対して「効果的な」弾を与えて、政治家さんたち同士の仁義なき戦いを勝ち抜いてもらわねばならない。

そこで重要な意味を持つのが、故田中角栄氏の言葉だ。彼は味方を作る事も重要だが、敵を作らない事に腐心したと言う。実際に(別に角栄氏の言葉だからそうしている訳ではなく、実際そうした方が有利だからそうしていると思うが)、政治家先生は普通他人を余り悪しざまに罵らない。何かの意見を断罪しないし、少なくとも表面上は多くの人々の声に耳を傾けているポーズを取る筈である。その習性が悪い方に出れば土下座外交になってしまう(敵を作らない様にした方針が、却って相手の増長を招くとか)。

その辺考えると、何かの法に抵触するとか「確実にアウト」な事以外では、彼らは二者間の意見調整役に徹し、悪く言えば八方美人的な顔を、良く言えばその場を丸く収める方策を模索する筈である。そもそも政治と言うのは異なる複数の意見を調整して妥協点を見つける事に他ならないのだから、彼らが職分に忠実であるならほぼ確実に意見調整に走るだろう。

そんな動き方を旨とする人々に意見を通したい場合、決定的な証拠で相手を駆逐して貰うか、意見調整役としてどこに落とし所を設けるかを良く考えるべきだろう。限りなくグレーであってもそれが真っ黒ではない限り彼らは確実に意見調整をする。我々も政治家と同じ様に彼らとの間接的な政治を試みなければいけない訳だ。

だとすると、出来るだけフラットな見方で対立意見を観察し、良い所は良い所で認め(譲歩)、悪い所の改善を提案して「出来る限り自分達にとって望ましいポイント」を最終終着点にするように尽力するのが最善となる。この為、政治家相手の話し合いでは例え自分自身は相手がちょー気に食わなくて心象真っ黒だとしても、実際に政治の場に立つ議員さんが戦いやすい様に論調を整理するべきかと思う。相手を攻撃する様に頼む事や、相手の駆逐を目的とした議論には、そもそも政治家は参加しにくいのだ。それは彼らにとって最も望ましく無い「敵を増やす事」になってしまう。

ゼロかイチかを望むべきでは無い。0.999999・・・・・を目標とし、出来るだけ譲歩の量を減らす事を考えるべきだ。その上で相手側の立場を危うくしない様な、妥当な譲歩を提示するべきである。

この辺の勘所をしっかり考察せずに、敵か味方かの二元論で話をまとめてしまうのは極めて危険である。そう言う事をする人々は政治家側から見てむき出しの爆薬の様に見えるだろう。恐らく近付きはしないし、爆薬の頼みごとを叶える努力を放棄してしまう。その為「彼ら」は自ら「敵を作りたがらない人々」の敵側に回り、仕方なしに政治家は「この人たちは敵になってしまった」と天を仰ぐ事になる。

逆説的だが、上記の様な政治家の本質定義が間違っていないのであれば、「こちら」の望まぬものを称賛している政治家先生をこっち側に引き込む事も可能である筈だ。彼が賞賛している物の中の良い所は良い所として認め(彼らの立場に対する配慮)、問題点をポイントアウトして改善提案を出す。その改善提案の中で多くの人が彼の下で意見を交わし、政治家先生がそこに民意や「政治」を見出したのなら、彼らはその方向に動くだろう。

私は、多くの圧力団体は政治家の扱い方間違ってると思う。

広告